メッセージ

山内 淳

やまうち あつし

(1981年卒)

大阪ろうさい病院 腎臓内科 部長

大阪ろうさい病院 副院長

内田先生のご退官に寄せて

内田信一先生とは、米国ボルチモアにあるジョンズホプキンス大学腎臓内科に留学中、ご一緒させていただきました。1989年3月末、私の方が一足先に渡米していましたところ、少し遅れて内田先生が単身で赴任されて来られました。

研究室のボスはヘンドラー教授で、ホプキンスに新しくラボを立ち上げたところでした。テーマは尿細管のオスモライト輸送体のクローニングという、当時の最先端の仕事でした。日本では腎不全やネフローゼのモデルラットで実験していた私は、尿細管については留学してから勉強しようとのんびり構えていました。内田先生には尿細管の腎生理について、本当にいろいろと教えていただきました。お世辞ではなく、こんなに優秀な人がいてるんや、と心から感心するとともに、こういう人と同じ土俵で研究者としてやっていくことは、とてもできそうもないと痛感しました。

ラボはダウンタウンの真っただ中にあり、治安の悪さは全米屈指の町でした。夜遅くならないように、土日はできるだけ働かないように言われていました。内田先生はそんなことは気に留めていないかのように、黙々と実験されていました。

住居は安全な郊外にあって、日本人が多く、私も内田先生も同じ敷地内のアパートメントに住んでいました。数ヶ月後、奥さんの出産が終わって、お子さんとともに渡米されてこられました。近隣の日本人が集まってパーティをしている写真を添付します。関西勢が優勢だったこともあってか、最初のころは遠慮深く控えめにされていましたが、時とともに大阪弁に感化されながら、一緒に楽しい時間を過ごしました。

研究以外でも、多彩な才能をお持ちで、とくにゴルフ、テニスは夫婦とも本当にお上手で、ど素人の私に、この方面でも手取り足取りやさしく教えてくれました。当時を思い出すと感謝しかないのですが、関東の方の話し方は時に冷たく感じる場合があります。ゴルフの打ちっぱなしで練習をしているとき、「奥さんの方がかなりセンスがいいですね」とクールに言われたとき、顔では笑いながら実はかなりショックでした。

帰国後、早々に病院勤務となった私とは異なり、すばらしい研究成果を次々と発表されて、順調に母校の教授に就任されたことを、心から嬉しく思うとともに、同じラボで研究した者として誇らしく感じていました。

このたび退官されるとのことで、寄稿文を書きながら、ホプキンス時代の楽しい思い出がよみがえってきて感無量の心境です。本当にお疲れさまでした。退官は一つの区切りではありますが、新たな出発の門出として、今後益々のご活躍を祈念いたしております。

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