内田先生ありがとうございました
内田先生、腎臓内科教授の定年を無事に迎えられることお慶び申し上げます。先生は私の12歳年下ですので、私の退職からもう12年、月日の過ぎる早さに感慨を禁じえません。この12年間は大変だったとお察しします。特にあのコロナ騒動の数年間、医科歯科大病院(当時)の活躍がテレビで頻繁に取り上げられ病院長の内田先生のインタビュー姿を度々拝見しました。大変なご苦労だろうと胸が痛みましたが、先生の類い希な行動力なら切り抜けられるだろうと外野から声援を送るだけでした。本当にご苦労様でした。
内田先生との思い出となるとどうしても研究に関することになります。先生は留学先のJohns
Hopkins大学で、その当時腎臓に導入が始まった分子生物学の手法を学んで帰国されました。早速PCRクローニングの手法で腎臓のクロライドチャネルと水チャネルのクローニングに挑み始めました。驚いたのはその実験のスピードと幾つかの方法を同時並行して走らせる用意周到さでした。お陰でクローニングは瞬く間に成功し私たち腎臓内科教室は世界的評価を受けることができました。写真1はYale大学のLifton教授(左から2番目)の研究室を訪れた際のものです(左端はGiebisch教授)。Lifton先生は分子遺伝学で先天性腎疾患の責任遺伝子を次々と明らかにされ、機能から迫る我々に悔しい思いをさせた謂わば商売敵でしたが暖かく迎えて頂きました。写真2は奈良で開いたアクアポリンの国際学会での1コマで、先生は運営に大活躍していました(左端はVerkman教授)。その後も内田先生は教室の先頭に立って教室員の指導育成に当たり多くの成果を挙げてこられました。私の後を継いで教授になられてから教室は加速度的に発展したと頼もしく眺めていました。有難うございました。
先生は私のような野蛮人とは違い礼儀正しい方で目上の私にも優しく接してくれました。それに甘えて私に降りかかる仕事の半ば(どの程度の半ばは感じ方によりますが)を彼に横パスしていました。難なく片付けてくれて私は何とか青息吐息で定年までたどり着くことが出来ました。来し方を思うと内田先生には感謝しかありません。本当に有難うございました。教授定年後もお仕事は続くと思いますがどうぞ健康にご留意されますようお願い申し上げます。
思い出の写真
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思い出の写真1
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思い出の写真2
