昨年度の日本腎臓学会での内田先生の会長講演を聴き、私の認識は間違っていたかもしれないと思ったのですが、自称“二番弟子”の吉川桃乃です。留学から帰ってこられた内田先生が“一番弟子”の松村先生とCLC-K1の研究を論文にしたあと、私がCLC-K2の研究につけていただいたことがはじまりだからです。最初は今でいう後期研修に入ったときに研究日と休日を使って研究室に出入りしていました。言語能力の低い私にもASNでポスター発表の機会が与えられました。通りがかりの研究者が免疫染色の写真をじっと見て、ビュ〜ゥティフォー、と言ってくれたことをよく覚えています。その後いい気になって大学院に進学し、内田グループで研鑽をつませていただきました。当時、第二内科はもっとも女性に対してオープンな科のひとつでしたが、そのなかでも内田先生はほんとうに私を一人として扱ってくださいました。たいへん厳しくもあったわけですが、楽しかったことばかり思い返される大学院時代でした。大所帯ではなかったので夜はみなでよくひょいと飲みにも出かけました。そのとき内田先生からは研究のことだけでなく家庭のことでも示唆に富むおはなしをたくさんうかがいました。年末ごとにみな自腹で行った日本橋のふぐやさん(写真)は、私のなかでは“人生最高レストラン”に入ります。大学院卒業後は最小の関連病院として仲間にとどめていただき、関連病院会議ではいつも蛇に睨まれた蛙のようになる私を見守っていただきました。新型コロナ対応の時はまさに死にそうになる時期がありましたが、病院長としての内田先生のお顔をテレビで拝見し、あの内田先生だって、ととても勇気づけられました。私の医師としての30年の人生のほとんどを内田先生のもとで過ごし、何にも代えがたい貴重な経験を積ませていただきましたこと、ほんとうに感謝申し上げております。一内科医としては先生のお身体を心配しており、これからは奥さまとお好きなゴルフやテニスをなさる時間がとれますように願っております。
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